郷愁を感じる旅

旅先で見つけた民家の軒先や、路地に隠れるような商店や食堂を見つけると、何やら懐かしい感覚に襲われ、思わず立ち止まって、その場の空気と時間を恣にしたくなる。

こいつを「郷愁」と呼ぶならば、さしづめ「郷愁」とはいつか幼少の頃に見た記憶の再現に出会った瞬時の思い出なのかもしれない。

子どもの頃は、昭和だ。

生まれ育った街の至る所に、掘り起こされるときを待つかのように、敗戦の傷跡が残っていた。

宅からバスで15分くらい行くと、主要駅の界隈に出る。駅の西口は小商いをする個人商店や大型スーパーや地元の零細百貨店などが駅に連なる商店街を形成していた。

帰りのバス代しか手持ちのない小中学生にとって、商店街の書店は、新刊の漫画雑誌を立ち読みしたり、単行本をはじめ文庫本などの小難しいタイトルを見て、大きくなって大人になることへの興味関心を呼び起こすには十分な空間だった。

今にして思えば、大人への階段は、こうした書店に入り浸っていた頃の思い出に重なる。

旅に郷愁を重ねる。

旅先でみつけた郷愁とは、自分が育った場所や時間、それらにともなう家族との思い出などを思い起こす感傷なのだろうか。

子どもの頃に歩いた野道。気ままな波に誘われ浮き輪にしがみついた海。通学の帰宅時に立ち寄った喧騒の駅前から連なる商店街。ただただ身を置いていた街中の書店。

そういう意味では、国内旅行の各所各所、地形も気質も異なる旅先でも郷愁を感じることができるという意味で、この日本列島の均質的な社会性をあらためて感じる。

訪れた旅先の所々で、学校やら商店街やらから自分の歩先を探し求めるかのように彷徨っていると、空間も時間も思いのままにしたようで、ちょっと得した気分になる。

気ままな時空旅行。。

Last Updated on 2025年3月16日 by plough